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日常をつらつら綴るブログ

“私”を証明する大事な他人

巨人に生活を侵食されている。

今日は夜ご飯のときに3話見て、これからまた眠くなるまで見る予定。間の時間はオンラインおしゃべり会。本当は飲み会だったのだけど、お酒を飲むと眠くなるし、画面越しにしゃべるだけなら何でもいいやとケンタッキーのセットについてきたアイスティーを飲んだ。

久しぶりに話す人とは、話す前にちょっと憂鬱になる。ちゃんと楽しく話せるだろうか、頑張りすぎて疲れないだろうか。実際、ほとんどの場合は話してしまうと楽しくて、あっという間に時間がすぎてしまうのだけど。「1時間話したら終わろう」なんて思っていた今日も、同じ趣味の話で盛り上がり、2時間以上話していた。画面を覗くと今日のためにたくさんおつまみを用意している彼がいて、何も準備をしなかったことを少し申し訳なく思った。

何ごともなかったかのように「結婚するよ」というと彼は、表情を変えずに「驚いたよ」と話した。そうして冗談とも本気ともとれない口ぶりで、「どうしても忘れられなくて日本に来たのに、残念だな」とか「しばらくは一緒になれないんだね」とか話し始めた。「何言ってるの」と思いっきり笑っていたけれど、いまだにそう言ってもらえるのはやっぱりうれしいなと、ちょっと感謝をしていたりもする。

10年もの月日を経た思い出話は、なんだか夢の話をしているみたい。自分の話したことは全く覚えていないから、過去の自分に出会いなおしているような気分だ。「誕生日にDVDをプレゼントしたよ」と言われ、買った記憶のないインセプションのDVDがなぜか実家にあることを思い出した。誰かがくれたプレゼントさえも、どこかに書いておかないと忘れてしまうんだ。私以外の誰かと過ごすということは、私がとった行動を代わりに覚えておいてもらうことなのかもしれない。“私”という人間が存在していたことを、証明してもらうための大事な行為なのかもしれない。