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日常をつらつら綴るブログ

感性が死ぬ

気が付けば1か月以上も“自分のことば”を書いていなかったんだなぁと、前回のブログを見て気が付いた。もう1年以上も書いてないんじゃないかと思ってた。まだ1か月なんだ。

 

書かなくなってから、「あぁ、書いてないな」と思い出すことが増えた。「書かなきゃ」とも、「書きたい」とも違う。けれど、このままいくと自分がどこにもいなくなってしまいそうな、焦りのようなものをどこか感じていた。見るもの感じるもの、今ある感情がどこにも残らずに消えてなくなっていく。もしかしたら一瞬感じていた感情でさえも、無くなっていくんじゃないか。

 

感性が死ぬ。

 

書いていたい。残していたい。誰のためでも、何のためでもなく、私が私であったことを、どこかに残していきたい。

3月17日(水)

やるべきことは分散されてきてくれない。いつも一度に訪れて、ギリギリまで苦しめる。

 

まさに今週はそんな感じだ。本業以外の仕事が2件、業務後にやっている勉強会も、月曜日に発表がある。発表できるほどの結果は出ていないし、「プロセスを話せば大丈夫」とも言われてはいるが、その「プロセス」をわかりやすく伝えるための、資料作りもままならない。明日、明後日でできるだろうか。なんでこんなに詰まっているのだろう。

 

できればもう1件、考えたいこともある。それは「私の人生観」。3月31日までにエッセイを仕上げる必要がある。壮大なテーマゆえに伝えたいことがなかなか1つに絞れない。誰に何を伝えるために書くのか。構成立てて、じっくり考えたい。

3.11について

あっという間に0時を回って、3.11が終了した。今年は10年という節目もあって、テレビやSNSで当時の回想がたくさん流れた。「こんなときだけ取り上げて」と、思う気持ちも少しあったけれど、人々の心に残るのであれば、何かにかこつけて取り上げるのも悪くはないよな、と思う。

 

僕はというと、2020年10月ごろから、ちょこちょこ被災地へ行く機会があった。まっさらな土地に目新しいきれいな建物が、“新名所”のような顔して佇む物産展。のどかな海の景色を眺めながら、ふと「2011年以前はどんな場所だったのだろう」とyoutubeを検索し、以前はここから海なんて見えなかったことを知ったときは、やりどころのない思いを持ったものだ。

 

「復興を感じられるのはあと1年かかる」とか、「まだまだ以前のようには戻りません」とか、10年という節目を迎えても、震災の跡は深く根付いている。これは被災地に行かなければ全く実感できなかったこと。そしてその中でも、「震災前よりも盛り上げよう」と奮闘する人々の姿も、この目で見なければ実感の持てなかったこと。リアルな声を聞ける仕事に就いていて、本当にありがたく思った。

 

実際のところ、僕は自身を経験していない。

けれど他人事にならずに今も過ごしているのは、仕事を通して被災地で暮らす人を目の当たりにしてきたから。楽しく、熱心に、自分の生活を過ごしている人をみてきたからだと思う。

 

石巻、女川、気仙沼、いわき、そして相馬。2011年当初はがれきばかりだった陸前高田。実際に行くことで、こんなにも特別な土地になるものなんだな。

生まれてきてくれてありがとう

この想いはファンを超えてもう恋なんじゃないかと思うほどに、諌山先生の存在を日々感謝している。そう、進撃の巨人の作者だ。

 

続きが全然読めなくて、1秒も目が離せなくて、体力の続く限り見(読み)続けてしまう。この感覚はスラムダンクの山王戦を読んだあの日以来だと思う。さらに今は、曲がりなりにもコンテンツを生み出す仕事をしているわけで、こんなに人の心を揺さぶるストーリーを作り出した諌山先生に、尊敬の念以上に「生まれてきてありがとう」という気持ちが日に日に大きくなる。もちろん編集者の方も本当にありがたい。諌山先生を見つけてくれて、一緒に面白いストーリー構成へと作りだしてくれて、コンテンツとはなんと素晴らしいものなんだろう。ファンレターを送ってしまう人の気持ちが、ここに来てようやくわかった。

 

あと1話で終わりだと思うと、「スラムダンクの続きを勝手に考える」Kさんが、未だに更新を続ける理由も、なんだかちょっとわからなくもないような気持ちがしてくる。

 

生きているうちにこの作品に出会えたこと、本当に幸せに思う。この愛はまたどこかでまとめ直したい。

マイハートわをん

あいうえおっと

かきくけそれは

おかしなことになりそうだ

 

あいうえおねがい

かきくけこのまま

さしすせそばにおいていて

 

あいうえおかしな

かきくけことでしょ

さしすせそろそろ

たちつてとめられない

 

わたしのハートちょっとピンチ

つぶやき

少しづつ自分が大事にしたいことが見えてきた。どうしても動かない次への一歩を歩むために、いまは自分と向き合っている。僕はどう働きたいのか。どういうことを楽しいと思うのか。きちんと知らないうちに決断を下すことは、ただその場を逃げてしまうことのような気がするから。

 

納得のいく場所へ、気持ちよく向かいたい。働くことに前向きでいたい。いまは、自分にとって気持ちよく働ける場所を探している。

 

棚からぼたもちでも落ちてくればいいのに、なんて思ってはいるけどさ。

会うための準備を怠らない人になりたい

ニコライバーグマンのブリザードフラワーが想定よりはるかに高額だった。港区おじさんは1万円近くもするものを、新人社員2人へ平等にプレゼントしていたのかと思うと、経済力の差を思う存分見せつけられてしまった気がする。めっちゃ高いやん。気軽にプレゼントとかできひんやん。きっとこれは、3~4人があつまってMサイズを買うくらいのレベル感だ。

 

そもそも、大事な友達へのプレゼントを、近々になるまで考えなかった僕が悪い。一体何してたんだろう。すっかり抜け落ちていた。今日のランチがなかったら、特に買わずに終わっていただろう。誰かと会うときに、その人のためにしっかり準備できる人になりたい。そんな人に、僕は憧れている。

 

明後日までにもかかわらず、予算4000円程度のプレゼント探しは引き続き行われることになった。よさそうな店をみつけたから、明日のランチで買いに行くぞ。