itsuka-blog

日常をつらつら綴るブログ

知ることは絶望に近づくこと

花金なので進撃の巨人のシーズン3を見返した。1回目に通しで見たときは、アルミンが死ぬシーンでしか泣かなかったのに、マンガの最新刊まで見た今ではいたるところに泣けるポイントが潜んでいて、なんだかもう泣きたいために見ているんじゃないかという気にさえなってくる。

 

物事を知っていくことは、果たして幸せなのだろうかと考える。シーズン3までは、新しく知った事実に絶望したり、混乱したりしながらも、どこかみんなに希望が見えているように思えていた。最初に絶望を経験し、そこから一筋の希望を頼りに仲間がふえ、できることがふえ、そしてわかってくる事実もふえてくる。しかしある一定のところまで知ってしまってからは、情報が手に入れば入るほど、どんどん答えがわからなくなるし、何が正義かさえ決められなくなる。ファイナルシーズンのキャラクターたちは本当に絶望の真っただ中にいるような気がしてならない。

 

知るという行為は、本当に僕たちを幸せに導いてくれるのだろうか。世の中には知らなくていいことがたくさんある。「知らない」ことこそ、幸せに暮らすためのスキルのような気がしてしまう。

 

今後、進撃の巨人がどうなるのかでこの考えは変わるかもしれないけれど、「知ること」を恐れるに足るような、残酷な物語だと思う。そんな残酷さをリアルに描いてくれているからこそ、僕は進撃の巨人が好きなのだけど。