itsuka-blog

日常をつらつら綴るブログ

ネガ日記、ポジ日記

3月1日(月)晴れ

会社の困りごとでなぜか仲介役をする立場に立たされてしまった。けど、いち社員の経費の問題に、なぜ上司が入る必要がある? さらにそれは、僕が担当する前の話だ。連絡もすべて以前の上司に行っている。経費のゴタゴタだけ自分に来るのは納得がいかない。

 

けれどそんなことも言ってられるわけがなく、仕方なしに対応したが、なぜ僕が入っているかをちゃんと認識する人もいなくて、勝手に調整役扱いされて終わった。「期待値が高い」結果なのかもしれない。けれど、経費申請を滞りなく終えることを期待しないことなんてできるか? イライラして1日が終わった。

 

***

 

よく晴れて、明るい日差しが部屋に入る。赤外線ヒーターだけをつけ、窓を開けていても寒くないのが嬉しい。東南向きの部屋のおかげで、日中はエアコンをつける必要がなかった。

 

昼休みに駅前の八百屋へ行ったら、スーパーとは価格が全く違って驚いた。イチゴ2パックが600円。パンパンに束ねられた小松菜が100円、紫玉ねぎだって150円。いつもは同じ値段で二分の一の値段だぞ。

知ることは絶望に近づくこと

花金なので進撃の巨人のシーズン3を見返した。1回目に通しで見たときは、アルミンが死ぬシーンでしか泣かなかったのに、マンガの最新刊まで見た今ではいたるところに泣けるポイントが潜んでいて、なんだかもう泣きたいために見ているんじゃないかという気にさえなってくる。

 

物事を知っていくことは、果たして幸せなのだろうかと考える。シーズン3までは、新しく知った事実に絶望したり、混乱したりしながらも、どこかみんなに希望が見えているように思えていた。最初に絶望を経験し、そこから一筋の希望を頼りに仲間がふえ、できることがふえ、そしてわかってくる事実もふえてくる。しかしある一定のところまで知ってしまってからは、情報が手に入れば入るほど、どんどん答えがわからなくなるし、何が正義かさえ決められなくなる。ファイナルシーズンのキャラクターたちは本当に絶望の真っただ中にいるような気がしてならない。

 

知るという行為は、本当に僕たちを幸せに導いてくれるのだろうか。世の中には知らなくていいことがたくさんある。「知らない」ことこそ、幸せに暮らすためのスキルのような気がしてしまう。

 

今後、進撃の巨人がどうなるのかでこの考えは変わるかもしれないけれど、「知ること」を恐れるに足るような、残酷な物語だと思う。そんな残酷さをリアルに描いてくれているからこそ、僕は進撃の巨人が好きなのだけど。

最終手段の「書く」

先日の不動産屋でもらったボールペンの書き心地がすごくよくて、僕的お気に入り第一位に入った。4色プラスシャープペンシル。指にちょうどよくもたれかかる重みのおかげで、紙の上をすべるように書き続けられる。

 

そういえば気が付くと、僕のデスクには必ず余白の用紙がある。前職ではいらなくなった裏紙を、オフィスでは100均のノートを、そして今はまた裏紙活用に戻った。何かをメモしておくのはPCのメモでもslackのメッセージ欄でもなく、僕は用紙の裏紙だ。そして気の散るMTGなんかが始まると、決まって落書きしたりする。

 

「あいうえお」を連発するときもあれば、縦線をとにかく入れるときもあるし、またはしずくの形を永遠に書き続けるときだって。「書く」という行為は僕にとって、ある種の瞑想行為なのかもしれない。

 

書くことで僕は僕の均衡を保つ。奈落の底に落ちていく僕を、一つのペンが連れ戻す。書く量が増えているということは、書く以外にもうなくなっている証拠なのかもしれない。

7年前の今日

2月17日(水)

 

仕事が終わってしばらくしたら、胃痛と頭痛が一気に襲ってきてすっかり時間を要してしまった。「痛い」という感情に気づいてしまったら最後、何もする気が起きなくなる。

 

今日は、元恋人の誕生日だ。別れてから7年近く経つ人だけど、未だにこの人の誕生日だけは思い出す。なんなんだろう、不思議だ。まぁそれ位特別だったわけだけども。きっといい恋だったんだろうな。

 

そんなこんなをしていたら、懐かしいメンバーからLINEが届いた。あいつらと遊んでたのも7年前。グループのアルバムにはひたすら飲んでる姿があった。集まるのも深夜から、スポッチャ行ったり、ダーツしたり、楽しかったな。今日が誕生日の恋人と別れたばっかりの頃だったから、やさしく笑いかけてくれるあの子にちょっと心がなびいていた時もあった。ついこの間のようだけど、気づけばあっというまに時間って経ってしまうものなんだよな。でもこの7年間、僕は結構好きだったりする。

 

この時間までぐうたらしてしまったので、お風呂に入るのが面倒になってきた。シャワーだけで済ませるか。それじゃぁ寒いんだけどめんどくさいからしょうがない。明日入るにしてもなぁ。

 

脱衣所のヒーターにスイッチをつけて、ちょっとだけ小説を進めよう。

尊いアオハル

2月16日(火)晴れ

 

尊い……本当に尊い……。世のクリエイターさんたちに向けて、「生まれてきてくれてありがとう」と声を大にして言いたい。それくらい今の僕は、クリエイターさんたちが作り出すコンテンツに助けられている。

 

特に、苦手だと思っていたラブコメ系コンテンツ。青春まっさかりのキャラクターたちを見ていると、うらやましさともう戻れない自分とのギャップにたまらなく苦しくなってしまう。今ももちろん苦しさはあるのだけれど、それ以上に「みんないろいろなことで悩んだりもがいたりしながら生きているんだよな」なんて想像できちゃって、途端に尊く感じられてしまった。恋に悩む女の子は偉大だ。不器用に伸びた眺めの髪の毛、頼りないひょろっとした体形が好きだ。美しくも必死で生きるあの子たちを見ていると、「僕も頑張ろう」って思えてくるからすごいんだ。

 

対した恋愛ってしてこなかったな、なんて思ってみたけれど、振り返ってみればラブコメできる要素は十分にあったなと思う。新入生歓迎会の舞台に立った僕を見てから、連絡先を聞いてくれたり、デートに誘ってくれた先輩。部活帰りのコンビニの前で突然メールアドレスを聞いてきた同級生。かと思えばコンビニで買ったパンを電車の中でもぐもぐ食べていたところ、これまた話しかけてくれた後輩。どれもドラマチックな展開で、顔もそこまで悪くなかった(同級生を覗いては)ものの、なんだか自分の気持ちがのらずに終わってしまったんだよな。青春まっさかりのころは、「こんな恋ならオイシイゾ」みたいな欲求と言うか、したたかさが無いんだと思う。それこそが、青春なんだと思う。

 

ちゃんとアオハルを楽しんだはずだけど、今になってもわーきゃー言いながらピュアピュアな恋にうつつをぬかすのは、やっぱりアオハルってやつは、何回やっても楽しいものだからなんだろう。来世でも思いっきり楽しみたい……

気乗りしないけど食べたいや

2月15日(月)大雨のち晴れ

 

胃の中に重りが入っているかのような違和感が続いている。特に朝はひどいもので、ゲーゲーと空吐きをしなければ収まらない。カップスープを主食にして2,3日が経った。

 

ストレスで胃がおかしくなるのはいつものことだ。嫌なことがあるとしっかり身体に出てくるから、僕はきっとかなりの素直な人間なのだろう。痛いのにもかかわらず、ストレスを解消するために何か口に入れたくなる。食べる気がしないのに食べずにはいられなくて、ストレスは余計募るばかり。夜食にと思って簡易味噌汁を飲んだものの、満福中枢は刺激されず、まだ新しい、胃にやさしい食べ物を求めている。

 

今日は違う誰かになって、違うことを言葉に残しておきたかった。けれど、数行書いてもうまくいかず、結局諦めてここで日記を書いている。伝えたいことが整理しきれていないのだろう。書きたくてもうまくかけないことほど、もどがしいものはない。

 

明日も仕事だと思うと、なかなかベッドに入れない。もっと気を楽に、「大した事ないさ」ってやりすごせばいいんだから。それができない素直な僕は、胃を痛めて、僕自身を傷つけている。

楽しかったならいいじゃないか

2月12日(金)晴れ

 

書くって僕にとって、いちばん合っているアウトプットなんだよな。思っていることを目で見て、じっくり表現を調整して。自分が何を出そうとしているのか、意図と違うことは無いか、ちゃんと推敲できる。安心する。

 

ラジオの収録にゲスト参加をさせてもらえた。和気あいあいと楽しく話せたのだけど、ポチリと切ると途端に不安が襲ってきた。これを流して、大丈夫だろうか。変なことはなかったか。あれで、良かったのだろうか。

 

不安になりながらパートナーに伝えると、「ダメでも大丈夫だよ」とあまり心強くない返事が届いた。でも、確かにダメでも死なないよな。発したものは戻ってこないし、今日はゆっくり風呂に入って寝てしまおう。それに、楽しかったんだからそれでいいんじゃないだろうか。